唄うたい的、駄文。不定期自由帳。

ここではKoyama Naokiが思いつくままに・・・何か書いてます。
(2009年11月〜12月)

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2009年12月29日

ちょっと遅れたけど・・・。今月23日で、このホームページを開設してから、 おかげさまで一周年を迎えました。いやぁ、どうもどうも。ありがとうございます。

当時、このホームページを作った理由は、まぁいろいろあるんだけど、大きな理由は、 1年ちょっと前、親父の体に問題が出たんだけど、その時点で、 実は田舎に帰る事は決めていたという事に話しは繋がります。実際、帰ってきたのは今年だけどね。
その辺の事はいろんな流れがあるんで、今回は長くなるんで説明はしませんが・・・。

まぁそうなると、どこに住んでいても、いろいろと表現できる場所はあった方がいいよなぁと思い、 割と慌てて作りました。このアナログ人間が(笑)。

親父が亡くなって、そろそろ2ヶ月くらい。まぁいろいろありますが、オレは大丈夫です。
このホームページもボチボチ更新していきます。まぁボチボチね。

それでは、今後ともよろしくお願いします。体には気をつけて。


2009年11月13日

−ライブ活動休止に関してのお知らせ−

どうも、Koyama Naokiです。

父親の健康上の問題を理由に、東京を離れ、故郷であり、家族の住む宮城県で、 暮らしていく事を決め2009年7月にライブ活動の休止のお知らせをし、10月30日に東京を離れ、 宮城県での暮らしが始まりました。

しかし、父は11月2日に、残念ながら亡くなりました。62歳でした。 闘病中もそうですが、いろんな方の力添えに助けられ、葬儀も滞りなく終える事が出来ました。 ありがとうございました。

そして、自分が東京を離れる際、ありがたい言葉、父を気遣う言葉などを貰った事を感謝しています。

でも結局、自分個人としては、父が亡くなった事をほとんど誰にも言わぬまま、今日になってしまいました。

父は自分が帰郷した事を見届けて逝きました。病室で、普通に何気ない、家族の会話もしました。

とてつもない精神力で本当に充分すぎるほど戦っていた父。 苦しいはずの体で、人を気遣い、時におどけて、弱さを見せず、たくましく、心優しい父は、 最期まで、父らしいなと、思わされるものでした。

しかし、病室で独りになった時に、何を思っていたのかなと思うと、深い溜め息もこぼれたりもしますが。

父にも家族にも無念の気持ちはありますが、これからもいろんな事があるでしょう。

これを踏まえて、生きていく日々が始まります。いい人生になるといいな。当然、悲しいんだけどさ。

そして、ライブ活動ですが、時期を見て、状況が整い次第、いずれ再開しようと思っています。 こちらでもやるだろうし、東京にも行きます。その時期が来たら、ここで報告します。 では、普通の生活に徐々に戻ります。

そろそろ、またギターに触ろうかな。こっちに来てから、まだ一度も弾いてないんで。 おまけに部屋も片付いてないしさぁ。さて、やるか。

このホームページは今まで通り更新していくんで。よろしくね。では 。